孤独に苛まれたが、意外とそうでもない

夜中3時に目が覚め、あれこれ考えてしまった。

 

僕には兄弟がいない。正確には、僕が子供だった頃に妹を亡くしているので、今は一人だ。

 

結婚をしないため家庭を持てない。子供は大好きだが、自分で子供を持てないことは残念だ。ただ、自分の遺伝子を残すということにはたとえノンケであったとして積極的になれなかった気はする。

 

親が死んだら孤独である。「親が死んだら」という発想が嫌だけれど、そういった発想に至ってしまう程度に、自分の人生を取り巻く登場人物が少ないので仕方がない。

 

幸い友人は何人かいる。

学生時代の友人だ。3か月に一回くらいは一緒に飲む。ただそれだけだが、それくらいでちょうどいい。30半ばの男、ゲイとノンケという組み合わせで頻繁に会っても仕方ないだろう。

彼は100%ドノンケだが独身だ。好きな女はいるのだろうか。いい加減結婚の目途はあるのだろうか。そんなことも知らないし、わざわざ訊かないが、そんなものか。気が合って飲めるんだからいいことだ。

 

女友達は何人かいる。昔は女友達の方が気安さを感じられて好きだった。ただ、女友達は20代半ばを過ぎると皆続々と結婚してしまった。未だ結婚しない子は、田舎に帰った。どちらにしろ疎遠にはなった。

今でも飲みの誘いをすることはある。うまくタイミングが合えば会って飲む。子供を旦那にまかせて夜外出するということは、ゲイの男には推し量れない大変さがあるらしいということが徐々にわかってきた。

 

僕は職場の同僚には恵まれている。今の職場には嫌な人間が一人もいない。大抵一人はいるもんだろうから、これはラッキーだと思う。

みんな相当にラブリーな人たちで、少なからず、向こうも僕に対してそういう気持ちでいてくれているだろう。そう感じられるのだからありがたいことだ。

僕の職場は、なんといっていいかうまく言えないが、ゲイであることをオープンにして働ける職場では少なくともない。皆普通に、夫婦共働きで、やりくりしながら3人の子供を育てる、そんな同世代たちの中に自分もいる。

男は女が好きで、女は男が好きなのだ。それが当たり前でそういう社会だ。ゲイであることを勘繰られたことすらない。多少しなやかに動いてしまうこともあるのに(笑)

 

僕は基本、職場外での交流をしていない。食事にしろ飲みにしろ、ほんと最低限しか付き合っていない。嫌なのではなく嘘をつきたくないだけだ。

気のいい人ばかりなのでまったく居づらさはないが、カミングアウトすることはその気風を乱すだろう。大好きな人たちだが、カミングアウトしてもいいかな、と思えないことは残念かもしれない。

 

 

僕は若い頃、どうしようもなく人間不信だった。人の輪にいることが恐怖だったが、そのくせ寂しくて輪の中にいることを切望した。

酒と向精神薬で朦朧とした毎日の中、自傷七転八倒していた20歳の頃。そうして構ってもらいたかったわけだけど、当時の自分が目の前にいたら張り倒してやりたい。

年を重ねるとともに「自分とはこの程度である」という自分の器がわかり、そこを認め、自意識が薄れ憑き物が落ちた。20代もようやく後半になって人間になった感がある。

 

その変遷を側で見てきて尚、未だに付き合ってくれる友人には感謝だ。こういうことは、今書いてる中で思った。日ごろは忘れているし意識しないものだ。

 

今、いかに孤独かをここに連綿と綴ろうかと思ったんだが、意外とそうでもない気がしてきた。いやまあ孤独なんだけど。

とりあえず幸せの種は意外とそこらへんに落ちているかもしれないと思えたところで安心して眠くなったので寝ます。