極度の非恋愛体質である悩み

 

彼氏がほしいのか?という件に関して。

 

欲しいような気もするし、欲しくないような気もする。

35年間という壮大な期間に渡って「お付き合い」というものをした経験がないとなると、もはやその状態こそが一番自然であり、この年になってもし突然彼氏またはパートナーと呼べる存在を自分が手にいれた場合、あまりに唐突すぎて、あらゆる面でテンパり対処に困惑するだろうと想像する。

 

なんて呼ぶのか。どこで会うのか。会ってなにするのか。どれくらいの頻度で会うのか。会わない間はLineのやり取りとかするべきか(そういうのは面倒くさい・・)、そもそも相手を好きなのか。

 

自問するような類いの話ではなく、好きなものは好き。愛しているものは愛している。そういうことなのだろうなぁとはなんとなく思う。

ただ、経験がないゆえ、そういう感情を持たぬことが当たり前な期間が長すぎた。そんな自分が他人を愛することができるのかどうか、そんな要らぬ心配をしてしまう。

 

高校時代、相手はノンケの同級生だったが、それは寝ても覚めてもその男のことが頭から離れないくらい、熱烈に無謀な片思いをしていた。

想いを告げることなんてとんでもなく、結局何もせず、何も語らず、自分の中で悶々と抱え込んでもがきつつ、その想いは高校卒業とともに散った。

それから16年が経過し、その間、そういった感情が自分のなかに湧き起こることはついぞなかった。

 

35歳になって、果たしてそういった「本当にやばいくらい好き」になれる力が自分にあるのか。それとも、そもそも年が年なんだし、そういう燃え立つ感情ばかりが全てではなく、落ち着いた大人の付き合いというのがあるのだろうか。

 

結局うだうだ考えれば考えるほど、自分の非恋愛体質に絶望し、

「やっぱ一人がいいや」という結論に落ち着いてしまう。5年前も3年前も去年も、考えてはそこに落ち着き、結局のところ、好きな相手は現れていない。というか探していない。

 

ただ・・、このまま枯れてシワシワになり性的に衰え、本当の本当におじさんになり(35歳はほんのかろうじて、真にオジサンにはなりきってないと信じたい)、誰を愛しも誰からも愛されもせず人生を閉じるのも、なんだか超哀しいのである。

ブログを書いてみよう

35歳をアラフォーと言うのであれば、アラフォーになってしまった。

思えば25歳の時も「アラサーになっちゃったよー」とこぼしたりしていたが

別に深刻な要素は何もなく、どこか「年とった自慢」のような感覚すらあり

それはお気楽なものだった。

 

まだなんでも出来る気がしていたし、見た目もとりあえずは若かった。

同年代のゲイに比べて、ゲイライフで遅れをとっていた部分も、いかようにも挽回できる気がしていた。

 

 

ブログをやってみようかな、と考えた理由は

自分と同じようにゲイで30代の方のブログをいくつか読み

その中で、様々なアクションを起こし善戦する様を目の当たりにし

「自分もいい加減、自分の幸せを掴むための努力くらいはしようぜ」

と自分に対してハッパをかけるもう一人の自分の声が聞こえた気がしたからだ。

 

そんなわけで、とりあえずは日常を綴り

そうする中で、自分の人生ときちんと向き合う癖がいくらかでも身に着けばいいなと思う。