職場の素敵男子について

思えば3か月以上もブログの更新をしていない。

ゲイブログを謳う以上、何やらゲイゲイしいことを書こうと思っているんだけど、つまりは3か月以上何のゲイイベントもない証である。

 

そこで、職場の素敵男子について書いてみようと思う。

 

職員の世代はまちまちだが、僕の年齢は職場では完全オジサン世代と言える。

まあつまり、居る男性は僕より若い年代が多くを占める。

僕は同年代~マイナス5歳くらいを好むので(贅沢な)、万々歳だが

そろそろオジサンは役目を終え、次なる職場があるにしろないにしろ羽ばたかなければと、いつ職場における存在価値を失うことかと日々戦々恐々としている。

 

前置きはどうでもよく、職場の素敵男子とは佐山君32歳だ。

 

佐山君を一言で現すと「なんかEXILEっぽい」、だ。

 

僕はEXILEにも三代目にも、いい歌がたくさんあるなと思っているがさほど興味はなく、

「二代目Jソウルブラザーズはいつ存在したのか」と知りもしないくせに細かくてつまらないことを言ってしまうタイプである。

 

勝手なイメージとしては、まず黒い。冬でも薄着。金か銀か電飾の衣装。

短髪かもしくはいい歳してツーブロック。腹筋がすごい。

いい歳して、というのは肯定的に言っており、僕のようなどうしようもないメンがそれをやると痛々しいところ、彼らは違和感がなくキマッておりそれはつまり彼らがカッコいいからだ。

 

そして佐山君だが、

まず、黒い(真冬でも)、そして髪型もなんだかEXILEぽい。そして彼の襟足が長いのを見たことがない。身なりがいつも隙なくシンプルで洒落ている。

全体的にシュっとしていて引き締まっている。もし普段踊っているというのなら「ほらやっぱり」と納得するだろう。

これが、なんかEXILEぽいと思う所以だ。

 

それだけで充分素敵だが、僕にとって彼が素敵男子たる理由はここではない。

 

彼とは部署も違うしそんな頻繁に顔を合わせるわけでもないんだけど、たまに昼食のタイミングなんかが一緒になると話をする。つまり、仕事を離れてプライベートの付き合いなどはないんだけど、職場内でそれなりにフレンドリーだ。

 

だいたい同僚との世間話なんて、仕事内容の愚痴、上司の愚痴、どこそこ行った、この後どこそこでラーメン食う、僕に対応可能な話題はそんなものだが、佐山君はこんな話をする。

 

佐山君「そういえばたらそふさん、僕、この間、〇〇〇〇という本を読んだですよ。」

僕「へぇーー(超喜んでいる)」

 

佐「そういえばこの前〇〇〇という映画を見たんだけど、たらそふさんにおすすめですよ」

僕「へぇーー(超喜んでいる)」

 

このように、自分の見たり読んだりしたものの内容を、僕に教えて勧めてくれるのだ。

情報量の乏しい僕は、それに対し「へぇ」とか「ほほぉ」とか、せいぜいそんなもので、なんの有益な情報も提供していないのだが、それでもいつも本とか映画を教えてくれるのである。

時に、本の一節を朗読してくれたことがある。あからさまに喜ぶので、向こうも面白がってパフォーマンス的にやってくれたのかもしれない。

 

教えてくれるとそれを買ったり観たりするので、その感想を伝えると、また新たに何かを勧めてくれるのだ。

 

僕はEXILEに興味はないが(もういい)、佐山君は素敵だし、まぁ彼はノンケだろうが、何のアバンチュールもない僕にとってささやかな癒しだ。

孤独に苛まれたが、意外とそうでもない

夜中3時に目が覚め、あれこれ考えてしまった。

 

僕には兄弟がいない。結婚をしないため家庭を持てない。子供は大好きだが、自分で子供を持てないことは残念だ。ただ、自分の遺伝子を残すということにはたとえノンケであったとして積極的になれなかった気はする。

 

親が死んだら孤独である。「親が死んだら」という発想が嫌だけれど、そういった発想に至ってしまう程度に、自分の人生を取り巻く登場人物が少ないので仕方がない。

 

幸い友人は何人かいる。

学生時代の友人だ。3か月に一回くらいは一緒に飲む。ただそれだけだが、それくらいでちょうどいい。30半ばの男、ゲイとノンケという組み合わせで頻繁に会っても仕方ないだろう。

彼は100%ドノンケだが独身だ。好きな女はいるのだろうか。いい加減結婚の目途はあるのだろうか。そんなことも知らないし、わざわざ訊かないが、そんなものか。気が合って飲めるんだからいいことだ。

 

女友達は何人かいる。昔は女友達の方が気安さを感じられて好きだった。ただ、女友達は20代半ばを過ぎると皆続々と結婚してしまった。未だ結婚しない子は、田舎に帰った。どちらにしろ疎遠にはなった。

今でも飲みの誘いをすることはある。うまくタイミングが合えば会って飲む。子供を旦那にまかせて夜外出するということは、ゲイの男には推し量れない大変さがあるらしいということが徐々にわかってきた。

 

僕は職場の同僚には恵まれている。今の職場には嫌な人間が一人もいない。大抵一人はいるもんだろうから、これはラッキーだと思う。

みんな相当にラブリーな人たちで、少なからず、向こうも僕に対してそういう気持ちでいてくれているだろう。そう感じられるのだからありがたいことだ。

僕の職場は、なんといっていいかうまく言えないが、ゲイであることをオープンにして働ける職場では少なくともない。皆普通に、夫婦共働きで、やりくりしながら3人の子供を育てる、そんな同世代たちの中に自分もいる。

男は女が好きで、女は男が好きなのだ。それが当たり前でそういう社会だ。ゲイであることを勘繰られたことすらない。多少しなやかに動いてしまうこともあるのに(笑)

 

僕は基本、職場外での交流をしていない。食事にしろ飲みにしろ、ほんと最低限しか付き合っていない。嫌なのではなく嘘をつきたくないだけだ。

気のいい人ばかりなのでまったく居づらさはないが、カミングアウトすることはその気風を乱すだろう。大好きな人たちだが、カミングアウトしてもいいかな、と思えないことは残念かもしれない。

 

 

僕は若い頃、どうしようもなく人間不信だった。人の輪にいることが恐怖だったが、そのくせ寂しくて輪の中にいることを切望した。

酒と向精神薬で朦朧とした毎日の中、自傷七転八倒していた20歳の頃。そうして構ってもらいたかったわけだけど、当時の自分が目の前にいたら張り倒してやりたい。

年を重ねるとともに「自分とはこの程度である」という自分の器がわかり、そこを認め、自意識が薄れ憑き物が落ちた。20代もようやく後半になって人間になった感がある。

 

その変遷を側で見てきて尚、未だに付き合ってくれる友人には感謝だ。こういうことは、今書いてる中で思った。日ごろは忘れているし意識しないものだ。

 

今、いかに孤独かをここに連綿と綴ろうかと思ったんだが、意外とそうでもない気がしてきた。いやまあ孤独なんだけど。

とりあえず幸せの種は意外とそこらへんに落ちているかもしれないと思えたところで安心して眠くなったので寝ます。

HDDのクラッシュを神からのお告げと捉える

しょうもない話です。

 

3日前、外付けHDDがクラッシュした。あまりにもあっけなく壊れた。 

バッファロー製のものだ。壊れてから調べたところ、壊れやすいらしい。

 

外付けHDDなど消耗品であり、いつか壊れる日が訪れることは承知だったが、そのうち何か対策を考えようと思っていたかもしれないし、思っていなかったかもしれない。とにかく「来たるその時」を想定した対策を何も練っていなかったのは確かだ。

 

焦った。外付けHDDには歴史が詰まっている。歴史とは、これまで集めたエロ動画だ。それ以外だと、旅行に行った際に撮った風景写真。楽譜。自分の演奏などだ。

比率的に、エロ動画が99%で、旅行写真、楽譜、自分の演奏が1%といったところか。本来、僕の歴史は後者のアイテムに刻まれているが、エロ動画の99%に跳ね除けられているため、僕の歴史はエロ動画みたいなもんである。

 

無くなって困るものをなぜバックアップせずバッファローの外付けHDDなんかに・・と呆れられてもしかたなさそうだけど、そういった発想に至らないレベルに自分は情弱なのだ。

 

それはともかく、エロ動画だ。

1TBの容量のうち、おそらく3割くらい埋まっていた気がする。300GBか?よくわからないがそれくらいだ。

エロに関して、ほんと自分は「微エロ」レベルである。300GBほどのエロ動画があることをエロいとは思わない。もっとも、エロいかどうかをエロ動画の所有数で測れるとは思わない。ただ、3TBのエロ動画を所有する者がいれば、僕よりそいつはエロいだろう。

 

そんなのどうでもいいんだけど、そういえば、15年ほど前に入手したエロ動画も、まさにここにある壊れた外付けHDDにきちんと収まっていた。

 

この自分が、よくそんな歴史の古いものを脈々とパソコンからパソコンへと受け継いで、3年ほど前に購入した外付けHDDへと収めていたものだ。やばい。感心する。どのように、動画をPCからPCへと橋渡ししてきたのか、全然わからない。一つ言えるのは「これだけはのがしてはならぬ・・」みたいな「念」がそうさせたのだろう。

 

それがどうだろう。一瞬にしてパーだ。いくら詰め込んでも余裕綽々の1TBという数字に油断していたのかもしれない。

 

しばし途方に暮れた後、どうにかポジティブに発想を転がそうと、ふと考えた。

「これは、神からのお告げではないか」と。

 

僕にはなんの信仰も祈る習慣もないけど、とりあえずそんなことが頭をよぎった。

どういう神様かというと、「ゲイの神様」である。トイレの神様があるならそんなのがいてもいい。

 

つまり、「いつまで15年前の動画で抜いているつもりだ。動画の男は永遠に年を取らない。おまえは15歳年をとった。いい加減目を覚ませ」。そんなお告げだ。

 

僕は微エロであり、果てしなくエロのエネルギーが弱い。

ツイッターのエロい人などを見ていると、年がら年中エロいことを呟いている。「俺の太マラがなんちゃらかんちゃら」と言っている。そのエネルギーに圧倒される。夏になると、公園に出向いて露出をするらしい。仕事で疲れているだろうに、行動力がある。

 

かたや自分は、とりあえず間に合わせの動画で抜く。それで満足であり、そこで終了である。

 

 

ここじゃないか。

動画がある。あるがゆえ、面倒くさいからそれで抜く。

そのスパイラルが自分のゲイライフを途方もなくつまらないものにしているのでは。

今手元からすべての動画がなくなった。今こそ、生身の男を求めろ。眠れる本能を取り戻せ。

 

間違いない。ゲイの神様からのお告げだ。神様ありがとう。

 

そんな話でした。

「いいな」と思っても何もできないオジサン

 

例えば、相手に対して何らかの好意を持ったとしてその気持ちをどうすればいいのか、伝えるべきか否か、そんなことからして困ってしまう。

18歳なら、甘酸っぱくて大いに結構な話なんだけど、35歳なので困る。

 

前も書いたんだけど、ゲイが集まる飲み会というものに、これまで何度か参加した。

 

規模はそれなりのもので、20人とか30人とかのゲイによる大群が飲み屋に押し寄せる感じになる。

ぞろぞろと店の入口を最初に突破した者から、予約されたテーブルまたは座敷の奥の方へと誘導され、お互いに周囲の様子をなんとなく伺いつつ、ただ何はともあれ着席しないことには始まらないためいそいそと席につく。

そして、自分の両隣や正面や斜め向かいにちょっとでもいいなと思う人がいれば嬉しいような緊張するような気がするし、恋愛感情とか抜きにして単純に話しやすいタイプの人がいればホッとする。そのどちらでもないような人が四方を取り囲む場合もありその時は落胆する。(これは相手も同じことを思っているだろう。笑。そういうのはひしひしと感じる。)

「あー、もう少し5人くらい後ろのタイミングで店に入ればあそこに着席できた・・」とか考えたりもする。

 

どんな状況下でも自分にとってそれなりに楽しいが、それでも、そこそこコンスタントに飲み会に参加する動機となっていたのは、その中に一人とても素敵な雰囲気の子がいたからだ。

歳は自分より2~3歳下。さわやかで親しみやすく、よく気がきいて愛嬌がある。よく飲み、真っ赤になって酔っぱらうが、でもオネエに豹変したりせず(笑)、酔うとより親しみが増していい子だった。「なんて普通に素敵な子だろう!」と思った。たぶん周囲のみんなが彼に対して親しみを持っていた。

 

これは本当に恥ずかしながらではあるのだけど、ゲイである自分が、ゲイの人に対して初めて持った「好意」だった。それまで、学生時代に惚れた相手は全部「ノンケ」であり、成人してからはずっと恋愛感情は誰にも持たなかった。たとえば職場にいる後輩や、ゲイビに出てくる男優とかを、単純に「かわいいなー、ぐへへ」と思うだとかその程度で、それは恋愛とは程遠いところにあった。

 

さてそんな飲み会で好意を持ったその彼は、仕事の都合かなにかで、いつしか飲み会に参加しなくなっていた。今でもたまには顔を出すらしいけど、今度は自分がその輪から遠ざかってしまった。

かくして、初めて好意を持ったゲイである彼に対し、何を伝えるわけでもなく何を仕掛けるわけでもなく、唯一顔を合わせる場であった「サークルの飲み会」という接点も失いつつあり、そうこうしているうちに僕は2年、歳をとった・・。彼の本名はかろうじて知ったが、連絡先は結局知らない。

老けるわけだ。このペースで物事進めていたら寿命がいくらあっても足りない。

 

もし、「いいな」と思った場合どうすればいいのか。

「いいですね」と言えばいいのか(笑) それは違うだろう。

でも言わないよりはマシなのか。

恋愛の意味合いにおいての「好意」を、伝えたことがないので難しい。

 

ただ・・、ちょっとゲイの集まりに顔を出してみるだけでもそこには素敵なゲイがいる、という発見は嬉しいものだった。

世界は広く、この世には素敵なゲイが五万と溢れかえっているに違いない。夢のようだ。よし、外に出よう。早くしないと死んでしまう。

 

そんな話でした。

ゲイ同士の飲み会で感じる難しさについて

32歳の時だが、初めてゲイサークルの飲み会に参加してみた。

 

なにせ32歳時の自分にはゲイの友人はおろか、「知人」と呼べる人さえいなかった。

正確には、20代前半のころMNJだかcool boysだったか、そんなような掲示板で知り合った同い年のゲイとたまに電話をする仲だった時期はある。ただ、それはたぶんたまたまお互い寂しい者同士だったから奇妙に成立していただけの関係であり、1回だけ会ったが顔も覚えていない。

 

ゲイサークルというのもいろいろありそうだが、「ゲイであること」を前提としているだけに、あまねく募集をかけている類のものではなく、検索しても出てきそうで出てこない。出てきても、最終更新日が4年前とかだったりして、現在活動しているのかどうかもよくわからなかったりする。

 

まぁでもそんな中から探しだした1つのサークルに、これは当時の自分にとってはもう清水の舞台から飛び降りるような覚悟が必要だったが、参加してみた。

 

初めてその集いに足を踏み入れるときの緊張は相当なものだったけど、いざ、その輪に加わり共に行動させてもらうと、ゲイであることなんてどうってこともなく(周りが皆ゲイなのだから当然だ)、その場にただただ「居る」ということができた。

 

若い子から、すでにお爺ちゃんの域に達している人までいる。やけに大胸筋のでかい人、120Kgはありそうな巨漢、焼きすぎて黒すぎる人、ヒョロヒョロで吹き飛ばされそうな人もいた。

その中にあって、32歳・標準体型・地味目な服装・特にイケてるポイントなし、とくれば、あまりにありきたりであり、モテはしないが自然にその場に居ることはできた。

 

それまで、飲み会といっても、一緒に飲む相手は「ノンケ・または女友達」。

飲むくらいに仲の良い相手には、ほぼカミングアウト済みであったので、気安く飲むことができた。

 

今度は、自分も相手も「ゲイ」。

 

これは、本来なら盛り上がるはずだとは思う。気兼ねなく好きな男のタイプとかの話ができるわけだし、結婚だの彼女だのと詮索されて適当に濁すしかないという、ゲイにとって一番つまらない飲み会特有のアレもない。

 

皆が皆ではないんだけど、飲み会で酒も進み、徐々に出来上がってくるとオネエ全開になってくる。それまではノンケっぽかったのに急にオネエが入り「・・!」となったりする。そして、声がデカい(笑)。

ちなみに僕はそういう空気や、そういう人たちが好きである。その輪の中に自分が居ることを、居心地よく感じることができる。

 

ただ・・、困るのは、その乗りとオネエ言葉の応酬の中にあって、自分がその会話の波に乗れないことである。完全にキャラ的に埋没する。影が薄くなり、ただその場に居て飲んでいるだけの大人しいつまらない人に大体なってしまう。自分としては、その空気を楽しいと感じているのだけど、飲む相手としては不足だろう。

 

オネエ言葉が話せないわけでは、ない。

ただ、大きな声で面白いことが言えるスキルもない。男の話題で盛り上がれるほどに男に詳しくない。

 

難しいと思った。

もともと大人数による飲み会というシチュエーション自体がそれほど好きでないこともあり、なんだか自然とサークルの飲み会からも足が遠のいてしまっている。

極度の非恋愛体質である悩み

 

彼氏がほしいのか?という件に関して。

 

欲しいような気もするし、欲しくないような気もする。

35年間という壮大な期間に渡って「お付き合い」というものをした経験がないとなると、もはやその状態こそが一番自然であり、この年になってもし突然彼氏またはパートナーと呼べる存在を自分が手にいれた場合、あまりに唐突すぎて、あらゆる面でテンパり対処に困惑するだろうと想像する。

 

なんて呼ぶのか。どこで会うのか。会ってなにするのか。どれくらいの頻度で会うのか。会わない間はLineのやり取りとかするべきか(そういうのは面倒くさい・・)、そもそも相手を好きなのか。

 

自問するような類いの話ではなく、好きなものは好き。愛しているものは愛している。そういうことなのだろうなぁとはなんとなく思う。

ただ、経験がないゆえ、そういう感情を持たぬことが当たり前な期間が長すぎた。そんな自分が他人を愛することができるのかどうか、そんな要らぬ心配をしてしまう。

 

高校時代、相手はノンケの同級生だったが、それは寝ても覚めてもその男のことが頭から離れないくらい、熱烈に無謀な片思いをしていた。

想いを告げることなんてとんでもなく、結局何もせず、何も語らず、自分の中で悶々と抱え込んでもがきつつ、その想いは高校卒業とともに散った。

それから16年が経過し、その間、そういった感情が自分のなかに湧き起こることはついぞなかった。

 

35歳になって、果たしてそういった「本当にやばいくらい好き」になれる力が自分にあるのか。それとも、そもそも年が年なんだし、そういう燃え立つ感情ばかりが全てではなく、落ち着いた大人の付き合いというのがあるのだろうか。

 

結局うだうだ考えれば考えるほど、自分の非恋愛体質に絶望し、

「やっぱ一人がいいや」という結論に落ち着いてしまう。5年前も3年前も去年も、考えてはそこに落ち着き、結局のところ、好きな相手は現れていない。というか探していない。

 

ただ・・、このまま枯れてシワシワになり性的に衰え、本当の本当におじさんになり(35歳はほんのかろうじて、真にオジサンにはなりきってないと信じたい)、誰を愛しも誰からも愛されもせず人生を閉じるのも、なんだか超哀しいのである。

ブログを書いてみよう

35歳をアラフォーと言うのであれば、アラフォーになってしまった。

思えば25歳の時も「アラサーになっちゃったよー」とこぼしたりしていたが

別に深刻な要素は何もなく、どこか「年とった自慢」のような感覚すらあり

それはお気楽なものだった。

 

まだなんでも出来る気がしていたし、見た目もとりあえずは若かった。

同年代のゲイに比べて、ゲイライフで遅れをとっていた部分も、いかようにも挽回できる気がしていた。

 

 

ブログをやってみようかな、と考えた理由は

自分と同じようにゲイで30代の方のブログをいくつか読み

その中で、様々なアクションを起こし善戦する様を目の当たりにし

「自分もいい加減、自分の幸せを掴むための努力くらいはしようぜ」

と自分に対してハッパをかけるもう一人の自分の声が聞こえた気がしたからだ。

 

そんなわけで、とりあえずは日常を綴り

そうする中で、自分の人生ときちんと向き合う癖がいくらかでも身に着けばいいなと思う。